川村ユキハルの毎日2

湘南茅ヶ崎界隈のいつもの暮らしぶり。 仕事の話や思うこと。再び。

未来を望む色 <会社ロゴ変更と色の話:SIDE-B>

トレイルランナーの友人達からは、当たり前の話だと一蹴されそうですが、そんな皆さんは冒頭スルーしていただいて。。

トレイルランニングという、この素晴らしい自然と徹底的に自分に向き合うエンデュランススポーツで、特に北米で通常とされるレースの制度に「ペーサー」という制度があります。
100マイルや100K超のレースの後半、例えば70K付近から選手と並走して走りゴールまでマネージメントするのがペーサーの役割です。おぶったり、手を引いたりはいけないのですが、コースやサーフェイスを説明したり、走りながら補給を促したり、エイドに先に走って水や補給食を準備し渡す。またレース中、励ましたり、なだめたり、ほめたり、叱ったりしながらゴールを目指します。極限状態の「人間」がでる選手に対し向き合います。

僕は以前2014年に信越五岳というレースで選手で出場した時にもりおくんという友人にペーサーをしてもらったのですが、今でも一緒に練習する時に、そのことをよく話します。お互いいい歳して仕事抜きの走る趣味で知り合った仲間が人間をむき出しにして、信頼だけをお互い頼りにしてゴールできた感激は、やはり格別であり死ぬまで忘れない一つとなりました。

信越五岳トレイルランニングレース2014: 川村ユキハルの毎日
このようなことを、トレイルランナーは必ずいくつか大事に胸に抱えているはずです。
そんなことが多いので僕も年寄りになってもネタは困らないのでひと安心です。あと五百回以上話すでしょう。

 

その時、ゴールした時にペーサーのもりおくんはひどく感動していました。見た目自分を上回るくらいに。そのことは翌年、友達の竹谷さんが選手で出場する時に今度は自分がペーサーとして選んでもらって、サポートすることで真に理解することになります。ペーサーはエージェントとして選手をゴールまで運ぶことが仕事なので、選手とはまったく違う疲労感と充実感、達成感、醍醐味があるのです。とうことで翌年2015年に同じレースでペーサーとしてゴールできた時、真っ先にまず去年のもりおくんの嬉しそうな顔を思い浮かべてペーサーとして色々深く理解したのでした。


夜を越えて山を走る。夜明けのまだ前。漆黒の暗闇からやがて濃い藍色になり出します。まだ光の帯を左右に揺らすヘッドライトをつけ走る二人の息はまだ白く、朝の予感にやっと眠気を通り越したことで、集中した意識にお互いの呼吸が体にしっかり反響します。時折聞こえる鳥や虫の音は遠く、また強く耳に差し込まれます。

 

そして訪れる白が含まれた藍色。本当にもう直ぐ夜明け。

この色。これ。このような中間色を新たなインセクト・マイクロエージェンシーの企業カラー(インセクトブルー)としました。
我々がエージェントとして解決、サポートすることで、明ける未来を望む色として。

今回封筒とかも(やっと!)作りました。今までは茶封筒にゴム印でしたがやっと会社っぽくなるかな。


そこにプリントされてる社ロゴやマークの色はそんなつもりなのだと自分自信が忘れないようにここに記します。

 

 

 





店舗がコミュニケーション手段を取り戻すこと(仕事の事)

インセクト・マイクロエージェンシーは「豊かなコミュニケーションの成立」を社是としています。

創業以来、店舗とお客様の相互に通じ合える豊かなコミュニケーションを提供したいと思っているわけです。で、その「豊さ」を達成するためにベースとなる技術はインターネット常時接続であったり、SNSであったり、IOTとして様々なリアルに溶け込むテクノロジーの組み合わせの技術です。オウンドメディアとしての店舗に対し、デジタルサイネージを創業以来事業としている弊社のベースとなる思想、テーマがここにあります。

メーカーさんのようにディスプレイなどの物を売っているわけでもなく、単なるシステムのSTBを売っている訳ではない。元広告代理店にいたからこそのやりたい(達成したい)テーマなのです。
このことによって、次第に僕らはコミュニケーションの手段が「販売の現場に戻ってくる」と考えています。それはテクニックでなんとか「見た」や「クリックした」とした数字を作ることではなく、販売やサービスの現場がコミュニケーションを取り戻し、簡単に、効果的に、直接お客様と対話することの仕組みや仕掛けを作る事です。

その事により達成することこそが「豊かさ」と考えています。

僕らがコミュティや家族や恋人に対して普通に行うことである、信頼されるように直接顔を見てやりとりをする、振る舞う。また詩的に喜びや素敵なことを伝える事。全てそうだとは言えませんが、直接の場所から遠くなる程、またプレイヤーが間に増えるほどテクニックやロジックで成立させないと(効果をレポートできないので)成り立ちにくいものです。それはいつのまにか手段と目的が入れ替わり現場が置いてけぼりになる事が多いのではとも思っています。みんな薄々気付いてるのですが、でもビジネスが回っているからそのルールに乗ってるのです。うん。わかります。でもそろそろちょっと考えようよ。と思うのです。


直接やることが増えればそんな心配は少しは減ります。(新たな課題もありますが、ウェルカムだ!)また一方で、取り戻す事は、販売現場の方はもしくはセンターでマネジメントする方の面倒が増えることでもあります。今まではあとはよろしく!だったものが自らやらなくてはなりません。もしくは自分の好みで好きにやっていたものがあるルールをもって(ブランディングやレギュレーションなど)やることもあるかもしれません。

そこはなるべく簡単にわかりやすく積極的にできるようにしなくてはなりません。

FLOWシリーズと言うSNS連携のデジタルサイネージCMS、webアプリでインタラクティブアプリケーションを時間軸で配信する思想のshigusaPARTY  チャットボットとサイネージ連携など今後も増えるラインアップでこの課題が積極的に簡単に解決できるようにサービス開発をしています。

店舗とお客様のいい出会い、いい関係がつくれればいいなと。情報が並列する時代にリアルの店舗が果たす役割は今後も非常に大きくなると考えています。

ということで、弊社も体制や気持ちを新たに会社のロゴを刷新しようとしています(予告ー!)

再掲)バリカンについて

✳︎以前ショートノートに載せた話を引っ越し。 サラリーマンの頃の話。
ちなみに最近は気分転換にもなるし理髪店にいっております!バリカンだけども。



大阪支社から 異動してきた若いTは明るく背も高くスポーツマンでイケメンだった。もちろん女子はほっておくはずもない。彼には華があった。男女とも愛される彼にはいつも人の輪ができていた。
いわゆる今でいうところのリア充な人であった。
彼は坊主頭だった。

ある日僕が出社してみると机の上にごろりとバリカンが置いてある。
斜めのシマのT が僕の驚く顔に早速気がついて大股でやってきた。
「兄さん兄さん、これやったほうがいいですよ」
関西弁の彼が大きな体を折りたたんでコソコソと笑顔でこう言う。
「お、そか」「悪いな。」

実はそんな僕も少し前に転職してきて、大手広告会社で大きな仕事ができると気を張って仕事をしていた。
周りは皆流石に優秀であった。楽しかった。ついて行きたかった。当然激務であった。
仕事柄、不規則不摂生の毎日。
髪はというと親のどちらを遡っても遺伝子レベルで髪には将来恵まれない状況は予測できた。
小学生のころは理髪店のおばさんから髪が多く固く、切った髪が指に刺さったわよと言われたことが自慢だった。しかしながら今や30歳過ぎてバサバサと抜ける髪に毎朝戦慄してた頃だったのだ。

そんな僕を見透かしたのか、Tは自分もそうだったのだ、これで救われたのだ。というような
話を矢継ぎに、こそこそと続けて話した。冷やかしでないことはよくわかった。
口元は笑ってはいるが目が真剣だったからだ。

「やったほうがよろしいですわ」

どちらにしても、およそ仕事の机には馴染まない黒く重そうなバリカンをそそくさとカバンにしまい込んだ。

夜遅く家に戻って、そのバリカンをしげしげと眺めたあともう一度考える。
同じ営業チームだが担当の違うT。やってきたばかりで特に話もまだしていないし気心しれたというわけでもなかった。からかってるのだろうか。いやそんな感じでもなかった。
「やっぱりやめたよ。」と言うのも男としていかがなものか、という気持ちになってきた。
 
やってみるか。

深夜、風呂場に大きいビニール袋をバサバサとハサミで開いて敷き、素っ裸になってバリカンをあてた。5mmにセットした。
バサリバサリと髪が落ちていく。

見事坊主になった鏡の僕は毎晩遅くの仕事の疲れもあって、青白く囚人のようだった。
翌朝4歳の息子はパパ怖いと泣いてしまった。妻は笑いを通り越して、ばかねえと呆れていた。

出社すると、すれ違いざまに同僚や先輩や上司、デスクの女性、様々な人が笑って声をかける
「早速仕事で粗相したのか!」「今日謝りに行くのか」「似合うじゃん」「先輩触らせて!」
 
Tも早速僕を見つけた。

「似合いますやん」
「俺もそう思うんだ。ありがとう。」

15年たった今。
昨日も自分でバリカンを使って5mmで刈った。
あい変わらず素っ裸でゴミ袋を風呂場にハサミで開いで敷いて、
滑稽な格好でバリカンの刃をあてている。白髪が随分増えたな。

鏡を見る。
「兄さん兄さん」
Tの声を引き金に思い出す、あの頃の喧騒と混沌、緊張と自由。
仕事仲間との昼夜関わらずの張り詰めた、年中寝不足で楽しかった仕事の日々。

安い涙  春

アイドルの楽曲が家で流れていて、なんだろうか。涙がサラサラと流れた。


「まただよ」という顔で、子供から「パパの涙は安いんだよ」と言われてしまった。

「安い。。。そうか、そうだな。」とティッシュはどこだと探しにソファーから腰を上げた。


笑っちゃう。思い起こせば、確かにそんなことばかり。
息子が小さいとき映画館で家族3人でアンパンマンを見たときにドキンちゃんが何かしら苦労してるいじらしい描写があり、一人コロコロと涙がこぼれてしまって奥さんに呆れられたり、子供に絵本や児童書の読み聞かせをしていた、そのうちの何回か読んでる本人が泣いてしまって進めないことも多く、小さい息子はそんな様子を不思議そうに見上げていたものだ。

 

年をとると涙腺が弱くてね。よくある話でさ、いやそうに違いないが、年をとったから涙の蛇口のパッキンが壊れてしまった。そんなわけじゃない。


今回の件はどうなんだろう。

同じ世代のファンの子達からすると代弁してくれた。その気持ちわかる!共感するとなるのだろう。

そのアイドルが歌う、その歌詞の意味を、その子の年齢ではあまり理解できていないまま歌っているんだろうなと。(いや、その年齢の中で色々あってもちろんその葛藤をうつしているのかもしれない。)

しかし、なぜ心が動くかというと、まだまだそのアイドルのイノセントな「知らない」という表現力は逆説的に、まあそこそこ生きてきた中で実感を伴った人には、自分の前に大きな鏡を置かれたような眩しさを伴ってしまうから。それも共感と呼ぶならそうかもしれない。

人生の機微を表現するいぶし銀な名人芸熟練者の手練れた表現も、気持ちを豊かに、またお腹がどっしり熱くなるような感動を抱えることがあったりしてそれは素敵な体験だけどもね。

 

イノセント。未熟さ、知らないこと。を持った若い人は、ある程度経験してきた僕らの前に鏡となって立つ。

弊社に来ていた若い大学生のインターンの子達をみていてもおなじように思う。

彼らを見るとどこかで僕は自分を見る。そしていくつかの経験というコートを纏った、退屈な、わかった風なもう一人の僕を見つける。

彼らが照らしてくれた光で、僕は僕に駆け寄りコートを引き剥がせねばと思う。

春。

また電車には朝、着慣れないスーツの新人が窮屈そうに不機嫌そうに大勢のってくるのだろう。
僕もまだまだ、おろおろと安い涙を流しながら、がんばるんだ。

僕の知らない未来が待っている。


 

人々が未来に置くギフト (手書き地図推進委員会奮闘記 B面)

今日は寒い雨

 

手書き地図推進委員会の活動も期末を迎えいよいよ出来上がった地図などを納品する段階です。今まで地元の皆さんと楽しく、熱くおこなったワークショップの成果がいよいよ印刷物などになっていきます。

 

そういえば、長野県遠山郷の3月に伺った時に、まあ晴れてるからと車で行きました。

 

いよいよ始まり、ワークショップの出席者の地元のシニアの方が会場に入るなり

 

「おい湘南ナンバー!(大きな声で)   ノーマルタイヤだね」と言われて

「あ、はい」と。
その言外には大丈夫かい?という意味が含まれているのは、もちろん理解して首をすくめたのですが、まあ大丈夫だよなーと思っていました。。

がしかし 悪い方の予感的中。

 

 翌日雪が、しかも相当に。


朝6時から地元の若い衆とジョギングしたのですがみるみるメガネが見えなくなるくらいの降りかた。その日は「日本のマチュピチュ」と言われる下栗に伺うのですが僕の車では到底無理で車は公民館駐車場に置いておいて、大内さんの車に乗せてもらい巡ることに。

公民館を通過する際、ぽつんと1台止めてあった僕の車のワイパーが万歳という感じで上がってました、まさにお手上げ。すまん俺の車よ!

あれ、ワイパーあげてたっけ?

なんと職員の方が雪なので人知れずあげてくれたのでした。と後でわかりました。光田さん!お気遣いありがとうございます。

 

で大方終わって、運良く昼になって晴れたのでまた夜になって冷えないうちにと出発したのでした。

帰りは危ないようなところも特になく安全運転で戻りましたことは一応報告します。


いやー海の方のやつらは甘いなと認識されてそうで、(いやされたに違いない。)全湘南ナンバーの皆様にすいませぬ。スタッドレス買おう(遅い)

 

ということで、手書き地図推進委員会のワークショップ開催で2回目の来訪となりました長野県飯田市遠山郷(南信濃エリア)の集落。

またまた地元の皆さんに歓待され、人情味がある楽しく美味しい素敵な時間を過ごすことができました。

 

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昨年、長野県立科町教育委員会の教育長が手書き地図推進委員会のワークショップの冒頭に、「地元の大人が地元のことをしっかり話せる大人にならないといかん。子供に地元の魅力の豊かさを自信を持って話せるようにならなければ子供らが返ってくるわけもない」

と、僕らも大好きな優しく物知りの教育長は、いつもの怒り気味のスピーチをしました。(真剣な時はデフォルト怒り気味なのは、その後お付合いする中で理解したものの、初対面では面食らって大内氏と顔を見合わせ戸惑ったのが懐かしい)

 

飯田市遠山郷の方が言うには親の子供の世代の若者が都市部より地元に戻ってきているという。

その若い方に話を聞いてみると、特に後ろ向きな話ではなく、地元のお祭りや自然、環境、集落の皆さんの距離感に惹かれて戻ってきてるのだそうだ。もちろん生活するための仕事などの課題はあるのですが、都市部の意識高い人たちがポートランドだ!と言ってる話の中のネイバーフッドストアの再興の機運のように、
地元で全てまかなえる(しかも特色のある)スモールタウン経済のプレイヤー(価値ある何かを作る、生み出す)になることがカッコイイという意識があることが強く働いているんだなと実感しました。

 確かにカッコイイし、そのまっすぐな意見は地に足がついてしかも凛々しかった。

一方で都市部のニュータウンと言われる街、僕が小さいとき暮らした東京都下の住宅街。
便利に住み消費することが自身の自己実現と表現の町は、暮らす人の購買力の低下=高年齢化に伴い、日に日に立ち枯れている。僕の実家のほうも空家が目立ってきた。
50年単位=一世代分でやっと分かったことだけど当時は分からなかったこと。

「自分たちの町」の意識はお金では買えなく、住む人々が地域に対してプレイヤーとして貢献することしか未来に残すことができない。住む人々には少々面倒だったり、課題も多いことも多いかもしれないが、それは住む人々が、町という場(エリア)に結果として残す「ギフト」だ。

地方都市でのイベントで疲弊するというような記事は多いが、それはそうなのだろうなとも思う。仕事や食事や暮らし=生活に組み込まれるようなものでないとなかなかね。

 

生活に根ざしたものとして、飯田市の職員の皆さんは勿論わかっていて、その目に見えない贈り物=ギフトを紡ぐために、遠山郷では自らも現場で情熱的に取組んでいる。本庁で指示を出しているだけではそんな移ろう霞のようなものを蒸留し堆積できることはできない。目に見えないそれはすぐ手から離れていってしまう。

 

県外からも人を呼ぶ。いやその前に、そもそもそこに暮らす全ての人の心をみたすギフト。それを僕らは文化というのだろう。

 

 

 

 

フィットネスとエンターテイメントテクノロジー

FBの友人がタイムラインにアメリカのフィットネスクラブのコンベンションの様子で、表示装置としてのサイネージ、テクノロジーをミックスした様々なマシンやプログラムのことをレポートしていて、あーいよいよそうなったんだなーと。

6年前2011年ティップクロスTOKYO渋谷の全面リニューアルに対し、サイネージを導入をご提案した時に言い続けたのはサイネージにより「価値の投影」をするのです。と言い続けました。

館全体でディスプレイなどいくつか導線上取り付け情報表示やブランドジングルやレポートなど流しているのですが、代表的だったのは、スピニングというバイクを漕ぐプログラム。
そもそもはインストラクターさんが指示しチアしながら音楽と共に漕ぐプログラムですが、プロジェクターでクラブっぽい疾走感あるCGや走る実写の映像、「水を取ろう」とか「クライムセクション頑張れ!」などの表示。(ハートレイトは別ディスプレイで表示。)

これらを視野角より広くマッピングして写し、没入感と未来感ある40分間のプログラムを音と映像で飽きることのないように設計し機器導入しています。オープン以降コンテンツも常に更新し続けていつもフレッシュな気持ちでプログラムにお客様が参加していただけるように頑張っています。
現在も人気のプログラムで嬉しいです。
最近フォロアー事業者もいっぱい出現しました。評価されているという証明で最初にローンチした側としては誇らしいです。オープン日に「実にTOKYOらしいプログラムだね」とスピニングの輸入元のアメリカの方に言われたのも、そうだ!これがTOKYOオリジナルだぞ!フィットネス本場のアメリカの方の目に価値を感じていただけて感激したのも懐かしいです。

「体を動かす喜びという」根源的な価値を分かりやすく、楽しく、増幅、共有できるしくみとして様々な館内の場に合わせて映像(支えるテクノロジー)により表現してあげることが「価値の投影」です。そんな設計をティップクロスTOKYOでチャレンジできたことは創業当初の弊社としても本当にプラスとなりました。もちろんあの当時サイネージ設備を投資する経営判断をしたティップネスさんも先見がありました。(というか理解いただきありがたかった)

今回アメリカに行かれたクラブ事業者の方が、流行ってるじゃんあれライセンスしよう!という視点に加え、何故必要なのかの根源を理解して導入されるといいかなと思います。もちろん弊社への相談はいつでもウェルカムなのでお待ちしています!

 

 

人は後ろ向きに未来に入っていく

今日は子供の卒業式に出席しました。いいもんですね。涙がでます。

        登壇された校長先生や理事長や来賓など心に残るスピーチをしていただきましたが、

 

        個人的に一番印象に残るスピーチはOB会会長のお話でした。



      彼は話の中にフランスの詩人、評論家、小説家などフランスの知性と言われたポールヴァレリーの言葉を引用しました。

  

湖に浮かべたボートを漕ぐように

人は後ろ向きに未来に入っていく

目に映るのは過去の風景ばかり
明日の景色は誰もしらない

 
そのあと会長は、そうなのだとしたら、そのボートにはこの学校で共に過ごした仲間やOBを共に乗せて(前が見れる)みてはどうか。卒業しても友達を大切に。いつでもOBとして学校に遊びに来てくれと続きました。OB会のお立場として素敵なスピーチでした。

ポールヴァレリー堀口大学の翻訳詩集を読む中で少し触れたのみですが、関心をmちました。しかしながらこの言葉の出典はなかなか皆さんさがしてもわからず、この和訳のみが一人歩きしているようです。
だとしても非常に気になる詩/言葉です。

未来を見つめるときに、人はだれでも前向きで輝く未来を掴む/語るイメージを想起するものですが、この詩(言葉)のように、後ろ向きに未来に人は「入っていく」イメージは新鮮で驚きました。
また未来を見据えたときに浮き足立つことなく、未来へ続く道/航路は、今や過去の積み重ねでもある(でしかない)ともとれます。少しシニカルな言い回しではありますが、卒業式にはぴったりのひきしまる言葉。うちの子を含めた卒業生生徒諸君はもちろんのこと、僕もまだまだ、オールを漕いでしっかり未来へ向かいたいと思います。
(たまに手を休めてちらっと前を確認しながら)