川村ユキハルの毎日2

湘南茅ヶ崎界隈のいつもの暮らしぶり。 仕事の話や思うこと。再び。

コップ半分の水とモンブラン (2015年9月 9日 (水)のブログ転載)

毎年8月末から9月初旬にかけて、仲間からのシャモニークールマイヨールからのUTMBシリーズに関する報告が多くなってきて毎回引き戻される。そして問われる僕は全力でやってるのかと。
2015年僕もかの地にいた。そしてどうしようもないとてつもない感動をしていた。
それは未だに爪痕を残したまま。


で、その頃のブログの転載です。

これから挑戦する人と僕自身のためにもう一度。

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夜空に星のように永遠と連なる光はヘッドライトの明かり。はるか遠くに小さく、風にそよぐ可憐な花の色は、トラバース先の選手色とりどりのウェア。そんな光景を見るたび、ストックに額をつけて、ため息を1つついて笑ってしまう。みんな頑張っている。そんな中俺はいるんだなって。1人じゃない。最高だな。

距離170K累積標高10000M。
シャモニーから出発してモンブランを左手に見ながらフランス、イタリア、スイスを経て周回するウルトラトレイルデュモンブラン(UTMB)2015にラッキーが重なって出場する権利を得たのが1月(国内出場レースのポイントをクリアして抽選が受かって)。

一昨年くらいからは週末必ず、低山ではあるけども一人山に入ってトレーニングをしてきたし、チャンスがあれば仲間と走るイベントにも参加をしてきたつもり。
でも1回しか2000M以上の山ハイクしてないし、2000から2500M前後で1000M登り降るUTMB。もうイメージつかないというか、もう知るか!というか。。。まあやるだけやったらのんびりやるしかない!と開き直る作戦で。
また、直前のおんたけ100Kで無理な走り方をして膝を故障して1ヶ月走れなく、(自己嫌悪しつつ)針に通いましたが、なんとか直前に痛みが消えたので本当によかった。

夕方のスタートはゆっくり。最後尾から。
そうそうに一緒にきたコバとはお別れ。先に行ってもらってそこからはゴールまで一人旅。いろんなことが頭によぎっては消える。でも途中から自分の呼吸しか聞こえなくなった。次のエイドで何をするか。時間は。胃腸は?膝は?大丈夫か。とどんどん自分に向き合い冴え渡ってきた。あ、調子いいぞ。
トレイルのシューズは、厚底のホカ、もう使い古したミニマルのNB110、アシックスのゲルなんとかを持って行って結局悩みに悩んで最初に履いてスタートに立ったのは110。コバと前夜から話して、やっぱり丁寧に足を置く走り方をしないと壊すよなって話になって。これが功を奏してとてもいい。いろんな方がsurfaceが固いから厚底の方がいいと言ってたけど足裏や脚を通して会話しながら先を行くにはミニマルなシューズの方が僕は正解だった。

関門でもあり、半分の地点には次の日、昼の11時過ぎに到着。クールマイヨールではドロップバッグ(事前に用意した着替えやらをデポできる)を受け取って。ドロドロの靴下を脱いでシャツを着替えて、ヘッドライトを変えて予備の電池を持って、列に並んでパンやスープを受け取って、食べて。水を補給して30分で出発。

ここまでずっと関門の制限時間から1時間から1時間15分くらいのアドバンテージできている。
いいんじゃないの。レース前には調子にのって密かに40時間切ってゴールかと思ってたけど甘かった。
完走目標に切り替える。いいんだ。絶対完走したいし。
ヨーロッパの山々はそんな僕になんどもなんども前に壁のようにでてくる。SF映画の惑星のように、ロードオブザリングの風景のように。僕はイメージが貧困なのだろうか。とにかく僕が生まれていままでの日本であった山のイメージとどれも違う。圧倒される。

今年のレースはとても良く晴れて風景は最高に良く見える代わりに暑さがすべての選手を苦しめた。日本より北緯が高く森林限界が低いので日光を遮るものはない。岩肌、がれ場のトレイル。ほこりがのどに張り付く。夜は急に寒くなる。体温調整をしないと胃腸がやられそうだ。

途中エイドで羽田で一緒になった男性選手に声かけられた。
「もう次のアルヌーバでリタイヤしようと思ってます。。」確かに顔色が悪い。
「いやまだ1時間あるから大丈夫ですよ、一緒に行きましょう!」
「。。。もう1時間しかないですよね」
言葉に詰まった。あとはぼくちょっと先に出ますね!気をつけて!としか言えなかった。

2日目の夜は幻覚をみた。途中からどれが幻覚かもうどうでもよくなった。道だけ踏み外さなければ。

次のエイドでも違う日本の選手から、「もう関門ですかね。。」とまただ。
他の選手と同じく彼も疲労の色が濃く、2日間寝てないので目の周りのクマが2重だ。
どうせ僕も同じようなもんだろ。

「いやまだ1時間ありますよね!」とぼく。
「もうまにあわないかなあ。。」

コップに半分の水をどうみるのか。
ぼくはそんなに、能天気なのだろうか。

圧倒的に強い選手も遅い選手もそれぞれ、それなりに大変だ。僕らのように遅い選手はトップ選手の2倍活動(レース時間)しなくてはいけない。20数時間と40数時間。メンタル面も相当きつくなってくる。孤独でもあるし、自分を信じられなくなってくる。もう一人の意識がもうよく頑張ったよ。やめようぜ!といってくる。

でも急登でも一歩づつ前に足を置けば必ずゴールは近づいてくる
その後、先に行ってしまったけど、2度目に声かけてくれた選手はばっちり復活して追いついてきた。
途中最後の山で補給食ないということでいくつか渡したりもした。
お互い絶対完走しよう、ビールを飲みましょうと 檄を飛ばし合った。
最後の山降りる時なんと、ぼくを抜いていってww「本当にありがとうございましたー!」と。
よかったよかった。

ぼくも最後の下りはどうなってもいいやってくらいストックを使って飛ばした。足が残ってるというか
アドレナリンが出まくっている!!
スタートからせっていたイタリアの選手にウィンクされる!やったよな!俺たち!そうだ。やったよ。

シャモニーの街の大観衆の中、花道の中をゆっくり走る。国籍を超えて大歓声、皆さんに祝福をされハイタッチをされ、拍手され、笑顔を受け取って、何かみんな笑顔で叫んでる。ナイスラン!ガンバ!日本語も聞こえる!
全てを噛み締めながらゴールゲートへ。
ゴールゲート先の教会、その先の山山をぼんやり眺めて、ああ、おわるんだ。終わるんだ。
終わってしまうんだ。。。
過ぎ去った、焦燥、諦め、後悔。
溢れる、感謝、達成感、そして寂寥


複雑な感情を抱えてゴールした。ゴールできたんだ。  

44時間57分。とても平凡なタイム。


でも人生で特別な日。    一生忘れない。