川村ユキハルの毎日2

湘南茅ヶ崎界隈のいつもの暮らしぶり。 仕事の話や思うこと。再び。

今年50歳になるからと、高校1年のクラスメイトで34年ぶりに会うことになった。(同窓会があった)

 

今年50歳になるからと、高校1年のクラスメイトで34年ぶりに会うことになった。

 

普段顔を合わせているメンバーは、2件目が終わった後

「帰るねー」と、まとまって帰っていった。雨もいよいよ強くなってきたのだ。今夜夜半から雨という予報は実に正しかった。

 

湘南エリアに越してみてもう20数年、真っ先に気付いたことだが

海のそばは木々の匂いがしない。それは青々した、花の、実の熟した、もしくは朽ちた乾いた香り。

ここ武蔵野エリアの街の街路樹の活き活きとした緑の匂いは雨に打たれて一層映える。

 

 

先生も交えた2件目はカラオケボックスであった。
おおいに盛り上がった。結果として、もう中央線も動いてないだろう。

近隣に住む皆は何人かまとまって手際よくタクシーを乗り合う段取りになって散っていった。

 

 

僕はというと、34年ぶりと張り切って、国分寺の駅前のビジネスホテルを事前に予約していた。

茅ヶ崎からだとゆっくり飲んでられないので、そうしたのだった。

 

久しぶり会う面々に「よーし久しぶりだから最後の一人まで飲むぞー、ホテルもとったし!」

と言った言葉は今思えば若干空回りしてたのは、他のみんなはそれぞれ何度か集まったり、やり取りをしているからであろう。

 

皆がそそくさと帰ったのはもう一つ理由があって途中参加の女子のKさんはここからさらに遠くに家があるとのことで前回の同窓会の時は皆で朝まで付き合ってクタクタだったとのこと。「みんなばばーとじじいなのにオールは大変だったのよー」と女子のYがいっていた。そういうことか。確かにつらい。

 

結局残ったKさんと僕。飲むぞーといったので、じゃあ僕も帰る。。と今更言えるはずもない。

所在無げにしているKさんに「Kさんもう一軒行こう行こう」と誘う。

しかし、焼き鳥屋に入るものの、もはやお腹いっぱいで食べることも、飲むことも二人ともとっくに飽きていた。

 

「川村くんは昔小さい子がすきだったのよねー」

「えーそうだったっけ?」

と僕の印象などいろいろ話で改めて聞いいてると他人の話を聞いてるようで、僕はそんな高校生だったのかと興味が

あって楽しく、いろいろ聞いいていた。その矢先だった。少し沈黙してから言った。

 

 

「16歳の私は好きだった」

 

まっすぐ目を見てKさんは静かに、そしてはっきりと言った。

とても目が離せなかった。曖昧な笑いも茶化すこともできなかった。

 

「ありがとう。」って言ったのが精一杯だった、後ほかに何が言えよう。

Kさんの昔から変わらない大きな眼。蒼く静かな色。

そこに彼女の心の海の深く、蒼く暗い海底にずっと根を張ったアンカーが映った。

 

 

結局、Kさんは、やはり前回の一件の話を持ち出し、さすがに途中駅の八王子に今回ホテルをとったのだということだったので、そこまでタクシーで送るということに。「いいよー、また戻るんでしょ」と遠慮するところを押し込んで、送らせてもらった。

なんとなく自分のためにもそうしたかったのだ。もう少し時間がほしかった。

 

Kさんが泊まるホテルの最寄り駅でさよならを言って、Kさんを降ろした。彼女は傘をさして見送ってくれている。

でもタクシーの窓が開けられない。僕も手を振ったのは彼女は見えたのだろうか。

 

運転手さんには元の場所まで。と言ってもう一度シートを深く座りなおした。雨はさらに勢い増して降っている。

26時。国道20号を戻り、走るタクシーの後部座席の雨が叩きつける窓を僕は見ていた。

対向車のヘッドライトが当たる時だけ、窓にすがる雨粒が光に変わった。

 

 

34年間係留してたKさんの小さな船は、その留まった年月を感じさせず、静かにさらさらと流れ始めた。

僕の手元には彼女の小さな船をつなぎとめていた、鈍重な色をもつアンカーだけが残された。

今日改めて知った、見送るばかりの小さな船は忘れえぬものとなった。