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川村ユキハルの毎日2

湘南茅ヶ崎界隈のいつもの暮らしぶり。 仕事の話や思うこと。再び。

人々が未来に置くギフト (手書き地図推進委員会奮闘記 B面)

今日は寒い雨

 

手書き地図推進委員会の活動も期末を迎えいよいよ出来上がった地図などを納品する段階です。今まで地元の皆さんと楽しく、熱くおこなったワークショップの成果がいよいよ印刷物などになっていきます。

 

そういえば、長野県遠山郷の3月に伺った時に、まあ晴れてるからと車で行きました。

 

いよいよ始まり、ワークショップの出席者の地元のシニアの方が会場に入るなり

 

「おい湘南ナンバー!(大きな声で)   ノーマルタイヤだね」と言われて

「あ、はい」と。
その言外には大丈夫かい?という意味が含まれているのは、もちろん理解して首をすくめたのですが、まあ大丈夫だよなーと思っていました。。

がしかし 悪い方の予感的中。

 

 翌日雪が、しかも相当に。


朝6時から地元の若い衆とジョギングしたのですがみるみるメガネが見えなくなるくらいの降りかた。その日は「日本のマチュピチュ」と言われる下栗に伺うのですが僕の車では到底無理で車は公民館駐車場に置いておいて、大内さんの車に乗せてもらい巡ることに。

公民館を通過する際、ぽつんと1台止めてあった僕の車のワイパーが万歳という感じで上がってました、まさにお手上げ。すまん俺の車よ!

あれ、ワイパーあげてたっけ?

なんと職員の方が雪なので人知れずあげてくれたのでした。と後でわかりました。光田さん!お気遣いありがとうございます。

 

で大方終わって、運良く昼になって晴れたのでまた夜になって冷えないうちにと出発したのでした。

帰りは危ないようなところも特になく安全運転で戻りましたことは一応報告します。


いやー海の方のやつらは甘いなと認識されてそうで、(いやされたに違いない。)全湘南ナンバーの皆様にすいませぬ。スタッドレス買おう(遅い)

 

ということで、手書き地図推進委員会のワークショップ開催で2回目の来訪となりました長野県飯田市遠山郷(南信濃エリア)の集落。

またまた地元の皆さんに歓待され、人情味がある楽しく美味しい素敵な時間を過ごすことができました。

 

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昨年、長野県立科町教育委員会の教育長が手書き地図推進委員会のワークショップの冒頭に、「地元の大人が地元のことをしっかり話せる大人にならないといかん。子供に地元の魅力の豊かさを自信を持って話せるようにならなければ子供らが返ってくるわけもない」

と、僕らも大好きな優しく物知りの教育長は、いつもの怒り気味のスピーチをしました。(真剣な時はデフォルト怒り気味なのは、その後お付合いする中で理解したものの、初対面では面食らって大内氏と顔を見合わせ戸惑ったのが懐かしい)

 

飯田市遠山郷の方が言うには親の子供の世代の若者が都市部より地元に戻ってきているという。

その若い方に話を聞いてみると、特に後ろ向きな話ではなく、地元のお祭りや自然、環境、集落の皆さんの距離感に惹かれて戻ってきてるのだそうだ。もちろん生活するための仕事などの課題はあるのですが、都市部の意識高い人たちがポートランドだ!と言ってる話の中のネイバーフッドストアの再興の機運のように、
地元で全てまかなえる(しかも特色のある)スモールタウン経済のプレイヤー(価値ある何かを作る、生み出す)になることがカッコイイという意識があることが強く働いているんだなと実感しました。

 確かにカッコイイし、そのまっすぐな意見は地に足がついてしかも凛々しかった。

一方で都市部のニュータウンと言われる街、僕が小さいとき暮らした東京都下の住宅街。
便利に住み消費することが自身の自己実現と表現の町は、暮らす人の購買力の低下=高年齢化に伴い、日に日に立ち枯れている。僕の実家のほうも空家が目立ってきた。
50年単位=一世代分でやっと分かったことだけど当時は分からなかったこと。

「自分たちの町」の意識はお金では買えなく、住む人々が地域に対してプレイヤーとして貢献することしか未来に残すことができない。住む人々には少々面倒だったり、課題も多いことも多いかもしれないが、それは住む人々が、町という場(エリア)に結果として残す「ギフト」だ。

地方都市でのイベントで疲弊するというような記事は多いが、それはそうなのだろうなとも思う。仕事や食事や暮らし=生活に組み込まれるようなものでないとなかなかね。

 

生活に根ざしたものとして、飯田市の職員の皆さんは勿論わかっていて、その目に見えない贈り物=ギフトを紡ぐために、遠山郷では自らも現場で情熱的に取組んでいる。本庁で指示を出しているだけではそんな移ろう霞のようなものを蒸留し堆積できることはできない。目に見えないそれはすぐ手から離れていってしまう。

 

県外からも人を呼ぶ。いやその前に、そもそもそこに暮らす全ての人の心をみたすギフト。それを僕らは文化というのだろう。