川村ユキハルの毎日2

湘南茅ヶ崎界隈のいつもの暮らしぶり。 仕事の話や思うこと。再び。

12月31日のバーベキュー

昨年年末の31日、昼食に外でバーベキューをするから火を起こしてくれと言われ

年末にあることかと息子と顔を見合い訝りながらも、まあ年末に火おこしも初めてだなと思いなおした。ちょっとでも妻の機嫌が悪くなることは年末年始には得策ではない。

昨年の晩秋に義母が風が舞ったように突然亡くなり、正月は喪中であるからなおさらだ。

 

そう言えば着火剤が無いので新聞紙をかたく丸め、風が吹いているので注意深く火をつけた。消し壺の炭は燃えやすいのでグリルに入れ、新しい炭も足していく。

1時間は経ったのかグリルの火は安定したところで先程の風は止み陽が翳って暗くなってきた。空はみるみるうちに低く、垂れ込めた何層もの灰色がかった雲が広がり気がつくと雪があたり一斉に舞っていた。とても細かく小さく軽い雪が降ってきた。近所の向かいに住む小さな子供たちは、この雪に興奮して、口々に雪だと叫ぶなり、何故かクリスマスの歌を歌うなり大騒ぎであるがそれも仕方がない。

 

かなり積もった記憶は彼らには無いのであろうから、降り始めさえ楽しいものだろう。

そういえば以前雪が相当に降って積もった記憶があるのは、5、6年前だろうか、その子供たち家族が住んでいる住宅がまだ建てている作業中の頃だ。建売住宅を請負った、家一つに一人が屋根をあげてから作業する、いわゆる一人親方達と一緒に雪をかいて道をつくった。それほど積もったのだ。

その向かいに建った3軒は、以前は1つの家と庭であったが分筆され建売住宅が建てられたものだ。また、我が家の横の家も、このクリスマスにやっと分譲の家が買われたようで、若い夫婦がクリスマスに楽しげに入居したばかりだ。

横の家も、また向かいの家のように、以前はその2軒ぶんがひとつの家と庭であった。

若い夫婦、家族がそうやって新たに住まうになった。私はどうやらこの町内では古参となってしまったようで、それはそれで街の代謝が進んでいることで歓迎すべきであろう。

 

しかしながら空間にゆとりのある、庭や池のある日本家屋の、安穏とした風情の昔からの家は、維持も大変であったとは思うが、そこに住む年老いた奥様や旦那さんは駅近いマンションや、ご実家にもどられていった。こうして引っ越した当初の家や庭や昔からの塀や生垣はなくなり、代わりにこざっぱり洒落た、シフォンケーキのような趣きの家々に囲まれてしまった。

とは言っても我が家も同じように越してきた。20数年前、まだ若い我々夫婦が7年経った中古物件ながら庭が少しだけ広くシンプルな雰囲気のよいこの家に決めたのは前のオーナーが注文住宅で拘った様々な工夫があった。が引っ越して程なく、リビングなどの当時のロココ調装飾のあるシャンデリアなどは、あっさり捨ててしまった。(玄関のものは比較的地味なので残してあるけども。)

このように前のオーナーのものは我々若い夫婦には趣味が合わず捨てたり、変えたりしたものがおおいが、心に残り続け、前オーナーとの縁を引き継いだものもある。

 

仲介の不動産会社の差し出されるままにハンコを押し続け、やっと契約がひと段落ということで前のオーナーとの家に対する注意点などの引き継ぎを伺っている時に、「川村さん、私が出来なかったことですが、このリビングの部分は実は薪ストーブを置く予定だったんです。薪ストーブは100キロもあってピアノと一緒で、下を養生して重さに耐えられるようにしないといけないので、この部分の下はそうしてあるんです。もし、出来たらやってくださいね。」

と言われたのであった。そんなこともあって、数年後薪ストーブを購入し、設置することになった。その薪ストーブの火は今年の冬も我が家を暖かく守ってくれている。

 

雪が舞うなか、口々に叫ぶ小さな子供たちの歓声を聴いて、同じように歓声をあげていた息子は春に大学を卒業するまでに時間が経過したことを改めて思う。私も同様にだ。一昨年秋からメインとなる仕事を変えたことで都内に単身赴任をし生活し、週末にここ茅ヶ崎に帰る新しい生活が続いている。


ライフゴーズオン。変化し、繰り返され、絶えず新陳代謝される。我々も街も。

清々しく晴れた新しい年明け。また会いましょう。

 

今年もよろしくお願いします